仕事は罰

今仕事していないのだが、傷病手当金やら、自分の預貯金やらでなんとか生活が持っている。自分は仕事していることを生きる免罪符にしているところがあって、だから、仕事してなくても、生きているじゃないか、と感慨深い。

 

仕事していることを免罪符にしている、というのは、嫌なことをいやいややるのが仕事だ、嫌なことをやって疲れているのだから、それ以外の時間では好きなことをやってもいい、という私なりの考えだ。

 

嫌なことをやる=仕事、つまり人生におけるペナルティである。なぜペナルティが課せられるかというと、自分が生きていてはいけない人間だからだ。

 

なぜ生きていてはいけないか。これは自分ではよくわからないのだが、おそらく幼い頃からの「ここじゃない」感とか色々言われたこととかに起因していると思う。

 

違和感があるのだ。学校でも違和感。会社でも違和感。集団生活は当然苦手だし、なんならいじめられたりいじられたり、無視することを覚えたが、それで負った心の傷が治るわけでもなし。

 

普通じゃないから、申し訳ない。普通じゃないから、恥ずかしい。そんな風に思って生きてきて、かろうじて『普通』の範疇にひっかかるのが、「仕事をして、経済的に自立する」ということだった。それを拠り所にして生きてきたのに、環境が原因で、仕事を休んでいる。だから、はしごを外されたような心地である。

 

まぁ、でもお金があれば生きていける。家はありがたいことに家賃がかからないし、あとは食費と日用品と猫費と老後資金の積み立てだけ。

 

このままずっと貯金を崩すわけにもいかないが、しばらくなら大丈夫。そう思うと、なんだか動けそうもない。

 

とりあえず、カウンセリング予約したので、受けてみる。一歩一歩、前に進む。

 

追記

仕事は、生きている自分への罰、という意識かもしれない。

なんか妙なこだわりだなぁ。だって、仕事してない人一杯いるよ?

定年退職した人、主婦・主夫の人、投資で稼いでいる人、ニートの人・・・。

無理しない範囲で働くパートの人も、フルで働いてないという意味では仕事している人と仕事してない人の中間位の立ち位置?

働いているときに、年金の試算をして、このくらいだったらやっていけるかも、と思ったのが65歳まで働いたパターンだった。それ以来、そこを目指して仕事してきたんだけど、燃え尽きちゃった。

無理して働くから、自分の場合5年から7年位で燃え尽きる。今まで出来てたことが出来なくなる。年数経つとどんどん他の仕事を積み上げられるんだけど、ずっと無理してたからしんどくなっちゃって、さらに積み上げてやることができない。

辛くなって辞めちゃう。あと、定年まで勤めるとか無理!と思って辞めちゃう。

 

ただ、他の人はそこまでしんどくなさそうなんだよね。だから自分が変なんだと思う。